吹き抜けの高い天井と、今となっては珍しいふぞろいのレンガの壁。60年続く喫茶店の二代目のマスターである僕の父親は、地元のミュージシャンを招いて演奏会を催すほどの熱心なジャズ・ファン。僕にとって“ジャズ”とは、あまりにも当たり前に身近にありすぎた音楽でした。

ビートルズをきっかけに洋楽に目覚めていた高校生時代のアイドルはジャミロクワイで、アシッド・ジャズに夢中になってレア・グルーヴ、そしてフリー・ソウルという言葉に出会ったのもその頃。行きつけの洋服屋のお兄さんに薦められて、初めて手にした数枚のレコードのうちの一つがジャズ・ファンク〜ブギー時代とされる70年代のドナルド・バードのベスト盤で、ラベルにはお馴染みのアルファベットのbに音符のレーベル・ロゴ。けれど、父は良い顔をしなかった。そのときすでに50年代以前のジャズしか耳にしなくなっていたガンコ者の父にとって、息子が初めて自ら手にしたLPが例え名門ブルーノートであっても、“そんな音楽はジャズじゃない”と言わんばかり。もちろん、物心ついた頃から自慢のオーディオ・システムで耳にタコができるほど聴かされてきたジャズと明らかに違うことは、当時の僕にも容易に理解できた。だからこそ、ファンキーなグルーヴと都会的でひんやりとした高揚感を携えた、ラリー・マイゼル率いるスカイ・ハイ・プロダクションの洗練されたプロデュース・ワークは、10代の僕に衝撃を与えた。

そのうち興味はブラジル音楽にも拡がりはじめ、父が若い頃に買ったというセルジオ・メンデス、カルトーラ、バーデン・パウエル、ルイス・ボンファ、そしてジョアン・ジルベルトのレコードを、自室で毎日のように聴いていた。そして上京の際、もう聴かないからと言って父はそれらを僕に譲ってくれた。ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィスという二人のジャズ・ジャイアンツの数枚のレコードと、キャノンボール・アダレーとバド・パウエルのブルーノート盤を添えて。

卒業こそしたものの、縫製技術の習得という本分をよそに、学生時代の記憶は昼間のレコ屋めぐりと夜のクラブ通いばかり。中でも、DJ Bar InkstickからOrgan Barに移ったばかりだったウィークエンド・パーティー、Free Soul Undergroundのあの空気を忘れることは決してないだろう。レコード貧乏に苦しみながらも(いまだにですが)、日に日に枚数は増えていき、名コンピレイション・シリーズ『Blue Break Beats』や『Capitol Rare』を手引きにブルーノート音源にもぞっこん。フローラ・プリムとアイアート・モレイラと共に繊細なタッチでブラジル音楽を愛したデューク・ピアソンの「Sandalia Dela」、先に手にしていた2枚のカデット盤も素晴らしかったマリーナ・ショウによるユージン・マクダニエルズ作「Feel Like Makin' Love」。スティーヴィー・ワンダーのカヴァーもどれも最高で、「As」のストレイトなアレンジに胸が詰まる想いのジーン・ハリス、やはりスカイ・ハイ・プロダクション・ワークが光るボビ・ハンフリー「You Are The Sunshine Of My Life」、「Golden Lady」や「Tuesday Heartbreak」のカヴァーにニュー・ソウル・マナーのオリジナル「Like A Child」も最高なロニー・フォスター。そしてなんと言ってもホレス・シルヴァー! 美しいグリーンのジャケットに惹かれて手にした『The Cape Verdean Blues』をきっかけにファンキー・ホレスにベタ惚れで、アート・ブレイキーとのジャズ・メッセンジャーズはもちろんのこと、カフェ・アプレミディを始めてから特に気分なのは、元ガリアーノのロブ・ギャラガー率いるトゥー・バンクス・オブ・フォーの「One Day」とシンクロニシティーを感じる「Mary Lou」や、有線チャンネル“DH-3 usen for Cafe Apres-midi”のマイ・クラシック、4ヒーローのカヴァーも嬉しすぎの「Won't You Open Up Your Senses」。そしてクープやアレックス・アティアスといったニュー・モーダル・ワルツと激しく共振するモアシル・サントス「Kathy」のカヴァー。ユセフ・ラティーフ「Love Theme From Spartacus」と共に、ここ数年何度となく繰り返し耳にした、スピリチュアリティーに満ち溢れた素晴らしい一曲だ。独特のキメとリフが魅力のピアニストは、いつの時代も最もヒップな音で自身を表現していた。ドナルド・バードもそれは同じ。そのスピリットこそがジャズなんだと、今は思える。

一昨年の夏、上京以来初めてまとまった帰省をすることができ、父とゆっくり話す機会があった。アジムスのコンピレイションの選曲を僕が手掛けたのは知っていた。好きなドラマーを訊かれ、「ミルトン・バナナか?」とブラジルの名手の名を先に挙げてきた。「うん。けど最近はアート・ブレイキーかなぁ。ピアニストならホレス・シルヴァーだね」と答えた。息子の意外な回答がよほど嬉しかったのだろう。ごそごそと僕の知らない古いジャズを選曲しながら、ブレイキーやモダン・ジャズ・カルテットにサインをもらったときの話を上機嫌で聞かせてくれた。奇しくも袂を分けた二人によるファンキー・ジャズの旗手、ジャズ・メッセンジャーズが、クラブ世代的な聴き方しかできなかった僕の感覚を、父のさらに上の世代から受け継がれてきたモダン・ジャズの感覚へと、どうやらハード・バップを触媒にしてヴェクトルを拡げてくれたようだ。ホレス・シルヴァーの曲ならば、「Nica's Dream」はもちろん、「Senor Blues」そして「Song For My Father」だってフェイヴァリットに。  

その夜、こっそりとレコード棚をのぞいてみると、子供の頃は単なる骨董品にしか見えなかった膨大な量のそのコレクションは、まるで宝の山のように思えた。もちろん、知らないレコードがずらりと並んでいたけれど、中にはもう何年も針を落としていないだろうインパルス、ヴァーヴ、そしてブルーノートのレコードもあった。ジョン・コルトレーン「Moments Notices」を初めて耳にしたときのあの不思議な感覚は、きっと子供の頃の遠い記憶から来たものに違いない。きっと父は、50〜60年代のジャズも大きな音で鳴らしていた。蛙の子は蛙。若い頃はレコード屋でアルバイトさえしていたという父の血が、自らに流れていることを実感した。

いつの日か生まれてくるかも知れない息子に、偉大なるブルーノートの、そしてフリー・ソウルやカフェ・アプレミディのタイトルを冠したこの素晴らしいコンピレイション・シリーズを手渡すときがくるかもしれない。“そんな音楽はジャズじゃない”なんて言いながら。

2004年8月 中村智昭