Raphael Chicorel
/I'm in Love with You
LABEL : celeste
FORMAT : 日本盤CD

 
“これ以上素敵なレコードなんて考えられない”
ディスク・ガイド『Suburbia Suite; Future Antiques』において、ラファエル・チコレル『I'm in Love with You』は、とてもシンプルにそう表現されている。
はじめに正直に言ってしまおう。僕は、このレコードをそれ以上饒舌に語るだけの言葉を持ち合わせていなければ、また、知識も無い。

公園通りの並木に温かな電飾が灯り、クリスマスの足音が聴こえてきた12月のある日、カフェ・アプレミディの電話が鳴った。
「こんにちは。ラファエル・チコレルのアルバムをリイシューする
ことになったのですが、ぜひともライナーノーツをお願いしたいん
です」。 アルゼンチンが生んだ孤高のボサノヴァ・ギタリスト、アグスティン・ペレイラ・ルセーナや、そのデリケートな歌声とギターが、ケニー・ランキンを彷佛とさせるシンガー・ソングライター、ピーター・フェスラー、そして永遠のウイスパー・ヴォイス、ブロッサム・ディアリーの自主レーベルであるダフォディル盤といった、僕が大好きなCDばかりをリリースしているセレストからの依頼だった。
何でも、ラファエル・チコレルの『I'm in Love with You』と、僕自身のイメージがピッタリ重なるとのこと。困惑する僕をよそに、「目一杯の素敵な言葉で綴って下さいね」と、電話は切れてしまった。

ラファエル・チコレル『I'm in Love with You』。もしも“ハッピー・ジャズ”という括りがあるならば、間違い無くその最高峰に位置する、あまりにも素晴らしいレコード。
イントロのブレイクから弾むピアノがグルーヴィーな「The Bird」と、そのヴォーカル・ヴァージョンと言える「All That Love Making」、父と同じ名をつけたという愛息子とのデュエットが微笑ましいワルツ「Walkingwith Jocko」、そして慈愛に満ちた「You're My Reason」。
それはオハイオの至宝、ヴィンス・アンドリュース「Love, Oh Love」や、早すぎたウエスト・ロンドンと言っても過言ではないミッド80's伝説のジャズ・バンド、カリマの「Trickery」、スウェーデンの SVANTE THURESSONによるエルトン・ジョン「Goodbye Yellow Brick Road」のスウィンギン・カヴァーと共に、ダンス・フロアを湧かせる究極のハッピー・ジャズ・アンセム。
その演奏は、74年にミルウォーキーでひっそりとリリースされたペニー・グッドウィンというフィメイル・ジャズ・ヴォーカリスト唯一のアルバムをプロデュースした、レイ・タブスというピアニスト率いるトリオによるもので、内容とプレス枚数の少なさから、中古盤市場では驚くほどの高値で取り引きされている。

僕がこのレコードについて知っていることといえば、この程度でしかなかった。

数日たった昼下がりに、英文の資料が数枚届いた。本人からのファックスだという。要約すると、こんな内容だった。

ラファエル・チコレル――1930年12月4日、デトロイト生まれ。楽譜を読むことも書くこともできない作詞作曲家。ユダヤ系の血を引く両親が運営する哲学系コミュニティで育ったラルフは俳優志望で、ニューヨークのアメリカ演劇大学を朝鮮戦争時の海軍への従軍後、55年に卒業。在学時から務めた Stein Ellbogenなる会社のセールスマンを経験。父の心臓病を理由にデトロイトに戻らざるをえなかった57年、弟のデビットとケンウッドのレストラン・ラウンジを開業。同年、長年に渡っての公私共にパートナーとなるPhyllis Philkoと結婚。9年間に及ぶ経営の中、演奏スペースを設置。バンドを雇い、自らも参加。レストランの経営から身を引いた66年から二年間、 Music Merchantsなる会社のセールスマンとして勤務。68年、世界中に愛好者を抱える名門ダイエット・クラブ、ウェイト・ウォッチャーズ初のフランチャイズ共同経営のためにウィスコンシン州のミルウォーキーへ移住。72年にはハワイのホノルル支店も家族で共同経営へ。

音楽家としては、Chicorel Music Corporationを設立。自身のPleasure Recordsより、70年に『The Music of Ralph Chicorel』、72年に本作『I'm in Love withYou』をリリース。73年には、前途ウェイト・ウォッチャーズの創立者JeanNidechについて書きおろしたミュージカル『Jean』を主題にした作品を製作。79年までの間に、作曲、作詞、プロデュースを手掛けた5つのアルバムをリリースした。88年「Milwaukee」作曲。初演はミルウォーキー交響楽団。 95年にはディケンズの『大いなる遺産』を、2002年には『戦争と平和』の著者でもあるロシア文学者、トルストイの小説を題材にしたアルバム『Anna Karenina, The AudioMusical』を製作した。
また、92年の離婚後にミルウォーキーのウェイト・ウォッチャーズを売却。ハワイ支店は息子に経営を譲渡。現在は再婚し、2 人の息子と1人の娘と共に暮らしている。趣味はミュージカル・レコードの収集。

レイ・タブス――1938年10月23日、ミルウォーキー生まれ。59年に結婚。
ミルウォーキーの数々のグループでピアニストとして活躍。65年、レイ・タブス・トリオを結成。ラファエル・チコレルと出会い、70年『The Music of RaphaelChicorel』、72年に本作『I'm in Love with You』の演奏を務める。75年にはフィメイル・ジャズ・ヴォーカリスト、ペニー・グッドウィン『Portrait of aGemini』をプロデュース。
アーティストやミュージシャン同士のブッキングなども多くこなし、シンセサイザーの研究開発にも携わる。現在もミルウォーキーに暮らし、演奏活動中。趣味は料理と旅。

ヴォーカルのサンデラ・マンデラについては、こう記してあった。
「10年以上に渡り私はサンデラに連絡しませんでしたが、彼女がデトロイトのどこかに住んでいるという話なので家を訪れようかと思いました。しかし結局は住所も電話番号すらも判りませんでした。Lorioというグループで活動しているのは分かっているのですが、専属の事務所は彼女について教えてくれませんでした。彼女は1970年代前半にミルウォーキーからデトロイトに引っ越してからもヴォーカリストとして活動しています。アルバムは、92年『Sandra Mandella』、94年『OneBreath Closer』、94年『Arrival』が在り、いずれもA.E.M. Record Groupよりリリースされています」と。

『I'm in Love with You』についての詳しいデータは一切なかった。その代わり、ライセンスは本人からとのことで、数問であればインタヴューもできるとのことだった。

セレストから届いた資料には、まだ仮マスターだというホワイト・ラベルのCDも同封されていた。何気なくプレイヤーにセットすると、レイ・タブス・トリオの演奏によるリリカルなスローバラードがカフェ・アプレミディに美しく響いた。

一年の中で11月の終わりあたりからのごく限られた期間、しかも今日のようによく晴れた日の夕暮れ時に、カフェ・アプレミディが黄金色に包まれる瞬間がある。大きな窓に強い西日が差し、その窓枠のシルエットが白壁に足を伸ばす。そして形や素材、全てがふぞろいの家具たちは、逆光の中に溶け込んでしまう。カウンターから望むそんな情景は、いつも僕をえも言えぬ気持ちにさせてくれる。平日ともなると、あまり喜ばしいことではないのだけど、大抵の場合はいくつかのソファーが埋まっている程度の混み具合。フロアに置かれたJBLのスピーカーは、ヴォリュームをさほど上げることなく隅々にまで音を届けてくれる。

最近だと、一生忘れられない想い出のステージだったジョアン・ジルベルト『JoaoGilberto in Tokyo』や、ノルウェーのアコースティック・デュオ、キングス・オブ・コンビニエンス『Riot on Empty Street』、現在進行形スピリチュアル・ジャズの最重要グループ、ビルド・アン・アーク『Peace with Every Step』あたりが常連盤だ。
けれどラファエル・チコレル『I'm in Love with You』が、この時間にかかっていた記憶が実はない。いや、正確に言うと、全曲通してかけた記憶がない。その理由はこのアルバムのオリジナル・レコードが、2枚に分けられていることにあった。

鎌倉のカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュのマスター、堀内隆志さんも書籍『ムジカノッサ 9×46 ディスク・ガイド』の中で言っていた。「コーヒーを淹れながら、レコードを引っくり返すのは至難の技」と。特に印象に残る「Walking with Jocko」、「You're My Reason」、「The Bird」と続く面は、実際にターンテーブルに乗せていたし、USENチャンネル『usen for CafeApres-midi』にも曲単位では繰り返し選曲してきた。けれどそれこそ、コーヒーを淹れたり接客する合間を縫って、4面全てを最初から最後までかけきったことは一度もなかった。

「今かかってるのって、なんですか?」数曲流れたところで、ショートカットが似合うチャーミングな女の子からのチェックが入った。どうやら、どの曲というよりは、アルバムが持つ雰囲気そのものを気に入ってくれたようだ。サンデラ・マンデラの伸びやかで澄んだ歌声にも、耳を奪われる。「You Are So There」の柔らかなエレクトリック・ピアノの音色と小気味良いリム・ショットの刻みは、ディスカヴァリー・レコーズの知る人ぞ知る名盤、ロレツ・アレキサンドリア『 How Will I Remember You?』を憶わせた。

こうしてラファエル・チコレルの作品は、街に溶け込み、様々な形で皆の音楽の記憶に刻まれて行くのだろう。これまで、少しだけがんばって全曲通してかけてこなかったことは、きっと僕の大きな間違い。後悔の念はあるけれど、お気に入りの時間の選盤リストに新しい仲間が加わったことに、今は素直に喜びを感じている。今回のCD化は、心ある音楽ファンにとってはある種の事件だ。

「You Are My Christmas」。この文章を貴方が読んでくれている頃には、クリスマス・シーズンはとうに過ぎ去っているはず。けれど僕達日本人が、一聴するだけでは単に季節外れと思ってしまうだけであろうこの曲に、ラファエル・チコレルというアーティストが描く世界を分かりやすく理解することのできる歌詞が綴られているので、あえて紹介したい。この曲はおそらく、愛する妻のために書かれたものだ。

「You Are My Christmas」

クリスマスが訪れ 過ぎ去っても
重要なことじゃない
あなたが共に歩んでくれることが
わたしのクリスマス・ホリデー
深く知るほどあなたは
クリスマスの夜の星よりも輝く
かざられたツリーの美しさに心奪われるけども
あなたはもっと魅力的
子どもたちへの贈り物はすてきだけども
あなたの方が大切な贈り物
あなたはわたしのクリスマス
12月だけどあなたがいればあたたかい
キスはクリスマスの挨拶
いつも いつの日も
あなたはわたしのクリスマス

これ以上素敵なレコードなんて考えられない。大切な人と、いつまでも手を取り合ってこのアルバムを聴くことができたなら、どんなに幸せだろう。この原稿を書きながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

どうやら少なからずの影響を、彼から受けてしまったことは間違いないようだ。
   
2004年12月 中村智昭


P.S.
これだけ素晴らしい作品のライナーノーツを、僕の稚拙な文章だけで終わらせてしまうつもりは当初からもちろん無かった。メールのやり取りによるインタヴューで、このアルバムについてのより詳しい制作経緯などをラファエル・チコレル本人の言葉として皆さんにお伝えするつもりだったのだけれど、残念ながら多忙を極める中でのごく限られた質問に対しての返答となった。その中で、本ライナーの補足となる部分を、僅かではあるが記しておきたい。ラファエルからの協力への、心からの感謝と共に。

“ミルウォーキーの親しい歯科医でありソングライターのサイ・レフコを介して、レイ・タブスと会ったのが1970年のこと。サイに、自分がレコードを作るために優れたミュージシャンたちを探しているんだと話したところ、レイ・タブスを紹介してくれたのです。レイのグループとは、まずインストゥルメンタルのレコード『The Music of Raphael Chicorel』を作りました。これが私たちが作った2枚のアルバムレコードのうち最初のもの。その後にこの『I'm in Love withYou』を作る際、レイがサンデラ・マンデラを連れてきたのです”

“作曲するとき、私がメロディをハミングか口笛でテープに録ります。それを譜面におこしてくれる人に聴かせるんです。本作の場合は、レイ・タブスにですよね。一旦レイが譜面にしてから、それをもう一度ハミングか口笛で吹く。すると彼が、どのコードがベストかを改めて合わせていくのです”

“私は音楽がメロディとハーモニー、そしてリズムを備えていることを第一としています。コンテンポラリーな物の中にはリズムはしっかりしたものが多いですが、ときにメロディ、そしてハーモニーが欠落している点を感じます。私は、音楽はその3つの要素から作られるものと習ってきたわけで、だからこそこのような作曲ができているのです”

“音楽が私たちと強く共鳴するということが、もちろん食物などに関することよりも、人間愛に緊密なものであろうと、私は信じています”

ラファエル・チコレル