株式会社USENの音楽放送チャンネル「usen for Cafe Apres-midi」の5周年を記念して出版された文庫本サイズ100ページの制作ドキュメント書籍
『B.G.M.選曲の中でのアプレミディらしさ』

こんにちは。なんと5周年。本当にありがとうございます。僕達のチャンネルを選んでくれて。これからも、精一杯の選曲をお届けして参ります。願わくば、末永きお付き合いを。

さて、ディレクターである野村さんから執筆の依頼をいただきました。なんでもテーマは『B.G.M.選曲の中でのアプレミディらしさ』とのこと。実はいつも、かなりナチュラルにやっていることなので、文章で上手くお伝えできるかどうかは不安なところ。けれど選曲そのものを見つめ直す良い機会でもあるので、自分自身にそれを問いかけながら、なんとか紐解いてみたいと思います。少し、個人的な見解になってしまうかもしれませんが。

“らしさ“ってなんでしょうね?アプレミディの、アプレミディたる部分。オープンから数えて7年、僕がお店で一番意識してきたことは、“お客さまとの距離感”なんですが、それはサーヴィス全体においても、ことB.G.M.、つまり実際にカフェ・アプレミディでレコードやCDを選んだりする時にも多分に働いている気がします。しかもそれは、10年以上続けてきたダンス・フロアやラウンジでのDJとしての経験と、日々アップデイトされ続けている現在進行形の感覚のもとに。けれど、もっと根底に流れている想い、または願いのようなものが。一言で表すと、“大好きな音楽を、より多くの人と共に”的なものでしょうか。このことは、常に僕を突き動かす原動力で、それが伝わったからこそ、橋本さんと多くのことを一緒にやれていると思えてなりません。

カフェ・アプレミディがオープンするずっと前、まだ文化服装学院の学生であった頃に、お店の原体験と思える時間があったことをとても鮮明に覚えています。その日、あの橋本さんが僕の部屋に遊びに来るというのです。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、僕の実家は60年続く老舗喫茶店で、さらに言うと親は共にかなりの骨董趣味。そんな特殊な環境にあって、中学生のころから意識的だったインテリアへの興味は上京を期に加速し、よりウッディーでモダンな方向に向かって行きました。アール・ヌーヴォー調のシェイド・ランプに、少し和のテイストも入ったアンティークのテーブルは、決して広くないワンルームをある程度、居心地の良いものにしてくれていたものと。ターンテーブルにレコードを載せ、ヴォリュームを調節、父が焙煎したコーヒー豆を挽き、ネルドリップで落としてサーヴ。それは、現在やっていることと、何ら変わりません。高鳴る胸をよそに、平静を装っていたことを除いては。B.G.M.は、ミュリエル・ウィンストン『A Fresh Viewpoint And Muriel Winston』。それは後にリラックス紙上のサバービアでも紹介されることとなった、ストラタ・イーストの知る人ぞ知る名盤。そのチョイスは、その時の“橋本さんとの距離感”において、自分の精一杯のものでした。そんな経験って、記憶にありませんか?“何を選んだか”ってことではなくて、“どんな思いで選んだか”という意味で。“アプレミディっぽい選曲”ではなくて、“アプレミディらしい選曲”。それは、ランダムではないんです。きっと全ての選曲に、何かしらの意味があるんです。これまで続けてきた選曲を、理論的に細かく説明することもできるんですが、あえては必要ないような気がします。カフェ・アプレミディでの選曲において最も大切なことって、そういうことだと思うから。

それから数カ月後、たしか夏の日のこと。橋本さんから、ちょっと改まった呼び出しを受けました。「カフェをやろうと思うんだけど、手伝ってくれないかな?例えば、中村の部屋のような雰囲気のインテリアで、俺たちの好きなレコードがずっとかかってるようなカフェをさ」と。そうして僕たちのカフェ・アプレミディはスタートし、毎日毎日、レコードを引っくり返しては次の盤を選ぶようになったのです。時間帯やその日の天気、季節感、お店の混み具合を意識しながら。それは、ごく自然なことでした。

オープンして一年としばらくたった頃の夕方に、赤いシャツがやけに印象的な30代の男性が、カウンターに着くなり関西弁で僕にこう訊いてきました。
「USENの選曲って、どう思います?」

僕は正直に、しかも、あまりにも失礼な言い方で受け応えをしてしまいました。きっと、若かったんですね。ことあるごとに、笑い話になってしまっているようです。そのときまさか、自分の選曲がUSENから流れることになるなんて、思ってもみなかったんです。今は、一生続けて行けたらどんなに幸せだろうなんて、本気で思ってしまっています。もちろん、“アプレミディらしさ”を決して忘れることなく、です。
2006年 5月 中村智昭